制作を始めた当初は「自分がしたい表現が相手にとってはときに難解になる」という壁に悶々としていたが、“私は、私だけに見える世界をみんなに見せるための機械だ”というジガ・ヴェルトフの言葉に出合い、考え方が一変。自分の見えている世界と相手が見えている世界を混ぜ合わせることが、映像クリエイターの役割だと実感。共に悩み、共に創り、共に体験する「人と共にあるクリエイター」であることを何よりも大事にしている。
映像制作を続ける中で多くの「クリエイター」として仕事をする人たちが、格差の壁にぶつかり、価格競争の波に呑まれていく現状を目の当たりにし、クリエイターが大きな市場に搾取されず、自分自身を高めていける文化が必要であると痛感。映像制作に加え、動画編集スクールやクリエイターネットワークの構築などに取り組み、クリエイターが胸を張って仕事ができる社会の実現に向けて尽力している。
2017年に『フォレストリーデザイン集団 ラックスフォレスト』を主宰。活動に関わる人たちが自分の能力を発揮し、やりたいことを実現する居場所づくりを行う。地域若者サポートステーションでは、就労体験コーディネーターを務め、企業開拓やマッチングなど、相談から就職出口までトータルでサポートを行う。 就労継続支援B型事業所では、支援や社内体制の構築など幅広く事業所運営に従事。 生駒市で初めての不登校小学生向け教室(適応指導教室)の設立に携わった。
18歳から現在まで、子育てをしながら約30種類の職種に従事し、分野を跨いで様々なスキルを習得。生きていくために本当に大事なことはスキルアップではなく、安心して自分のスキルを発揮できる場であると感じ、一人ひとりの意志ある経験が大切にされる活動をつくることに注力している。
☆馬渕梓職歴ダイジェストはリンクから
人生の原風景は、年上のいとこたちと過ごした幼年期の日々。親の都合で引っ越しを繰り返していたため、そんな日々も長くは続かなかったが、その後も似通った雰囲気をもつコミュニティに身を置けたときに充足感をおぼえた。しかし同時に、居心地のよいコミュニティもいずれはなくなるという諦観が生まれ、失われるつながりと心的な距離をとるように。
青年期は、行く意味がわからないと高校受験を拒否して親を困らせたり、就職活動の波に乗れない・職が続かなかったりして生き惑っていたが、したいかどうかではなく世の中から求められるかどうかだと考え方を変え、システムエンジニアに。激務で身体を壊し、安心できる人間関係も築けなかった経験から、求められることに応えるだけでは充分ではないと気づく。
その後、調子を崩しながらも通いつめていた地元のアマチュアサッカーチームのサポータ活動で人生の転機となるふたりに出会う。ひとりは障害福祉の世界に自分をいざない、もうひとりとはワークショップのデザイナーを育成する講座へともに通うことに。日々の支援やエニアグラムなど種々の学びの中で、人を援助するためには自分自身の囚われとその源である願いに触れなければならないと確信するようになった。
さらなる自己探究と他者理解・受容を深めるために、現在は人材育成や組織改革にたずさわるコンサルティング会社に身を置き、それぞれのゴールと強み、未知の資質を持つ人たちの「最高の姿」に気づき、その向かう先を示せる伴走者を目指している。